撮影隊!

ここでは、使用している機材類の紹介と、遠隔地への撮影に便利な宿泊施設(安いヤツ)の紹介なんぞをしてみます。
sorry! only japanese.

1号車 / 撮影機材など
カメラ関係
その他
2号車 / パソコン・通信関係
3号車 / 宿泊施設
4号車 / よく行く撮影地
その1:鯨波(新潟市柏崎市)
その2:関山(新潟県中頚城郡妙高村)
5号車 / その他の思い入れ等
その1:Double Decker Liner 215系
その2:銚子電鉄
その3:2010年12月 津軽鉄道




1号車 / 撮影機材など

・ ・ ・ ・ ・ Camera and so on.

カメラ関係
キャノン(EOS)ユーザーでございます。社会人2年目を前にして、初めて購入したのが、Canon EOS100 + EF75-300mm F4-5.6 。現在はボディーもレンズ群も更新されて以下のラインナップ。
その他


2号車 / パソコン・通信関係

・ ・ ・ ・ ・ Computer, data communication and so on.


TOSHIBA DynaBook SS3010 (PAP301JC) CASIO CASSIOPEIA FIVA MPC-206VL TOSHIBA dynaBook SS SX (SX/210LNLW) lenovo(IBM)ThinkPad X60 (1706-49J) lenovo ThinkPad X121e (3045-6JJ) Dell XPS13(9350)
OS Microsoft Windows 98 Microsoft Windows XP (HOME edition) Microsoft Windows XP (HOME edition) Microsoft Windows XP (Professional) Microsoft Windows 7 (Home Premium)64bit Microsoft Windows 10 Pro 64bit
プロセッサ Intel MMX Technology Pentium 266MHz Transmeta Crusoe TM5600 600MHz Intel Pentium M 1GHz Intel Core Duo T2300 1.66GHz Intel Core i3-2357M 1.30GHz Intel Core i7-6560U 2.20GHz
メモリ 64MB・増設無し 128MB+増設128MB 256MB+増設512MB 512MB+増設512MB 2GB→8GB 8GB
ハードディスク 4.3GB 30GB 40GB 70GB → 500GB 320GB → 1TB 256GB(PCle SSD)
内部ディスプレイ 10.4型TFTカラー液晶・800×600dot・1677万色 8.4型TFTカラー液晶・800×600dot・1677万色 12.1型 低温ポリシリコンTFTカラー液晶・1024×768dot・1677万色 12.1型 TFTカラー液晶・1024×768dot・1677万色 11.6型HD TFTカラー液晶・1366×768dot・1677万色 13.3型QHD+ 3200×1800dot・1677万色
寸法・重量 257mm,199mm,19.8mm(最薄),1.19kg 223mm,197mm,21.2mm(最薄),1.16kg 268mm,210mm,27.8mm(最薄),1.1kg 268mm,211mm,22~35mm,1.44kg 289.5mm,208mm,27.3mm,1.55kg 304mm,200mm,9~15mm,1.2kg
(導入) (1998年10月末・約25万円) (2001年9月・約15万円) (2003年12月・約23万円) (2007年2月・約13万円・中古) (2012年10月・約5万円・中古) (2016年10月・約24万円)
※ CASSIOPEIA FIVA の OS は Win Me だったのですが、2002年秋に Win xp 化しました。
※ lenovo(IBM)ThinkPad X60 のハードディスクは 70GB だったのですが、経年による不具合発生対応で 500GB に換装しました。
※ lenovo ThinkPad X121e のハードディスクは 320GB だったのですが、容量不足で 1TB に換装しました。(2015年6月)


3号車 / 宿泊施設

・ ・ ・ ・ ・Accomodation(cheap lodgings,hotels) and so on.

この項は永らく更新をサボっていたため内容が実状にそぐわなくなり削除しました。削除前の内容は
こちらのページです。ところどころ不定期に更新しているかもしれません。



4号車 / よく行く撮影地

・ ・ ・ ・ ・The place where I visit frequently and so on.

撮影地などで、比較的よく出かける場所、思い出の場所なんぞを並べてみました。

その1:鯨波(新潟市柏崎市)
初めて訪れたのが1994年の夏。その後2~3年は夏だけ訪れていたのが今では殆どオールシーズン、年に12回以上は出かけているような気がする。
有名な鯨波の撮影ポイントは、鯨波駅から徒歩15分程度。車窓からの風景も青海川と並んで良好だが、冬は海からの風がすごくて外を歩いている人なんか居ない。松の木が斜めに生えているのもダテじゃない。
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初めて訪れたきっかけは、高崎支社が設定した臨時の海水浴臨時列車、快速「青海川」の存在です。当時、高崎市内に住んでいた(1993年11月~1995年4月)ため、新前橋電車区185系充当の臨時快速というのはオトク感がいっぱい?で、私を柏崎だの柿崎だの犀潟へ誘い出すのに十分な魅力がありました。しかも当該の185系はグリーン車が普通車、それも自由席扱いという噂もあり、是非とも確認する必要がある、という使命感(笑)もあったのです。
かくして夜行急行「能登」(長野回り)
で直江津に出撃し、臨時快速の名前となった青海川の隣である鯨波へと向かったのでありました。とても暑い日だったことを覚えています。
往路の快速「青海川」をはじめ、長野支社の海水浴臨、定期や臨時増便の特急列車群を好天のもと撮影、昼過ぎに引き上げてきて、犀潟(当時は北越急行開業前)へ、ここへ出向けば185系の海水浴臨=快速「青海川」の始発駅なので、座れるかな、と...。
もちろん普通車自由席扱いのサロ185-200にふんぞり返って座ってきましたが、後年、この列車のグリーン車はグリーン車指定席扱いとなり、近年は専ら165系充当で運転されています。
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1995年から職場が変わり、設計会社に出向。このときから三鷹市在住となりました。この職場での2年目、ふとしたことからJR東日本 新潟支社からの仕事をいただき、信越本線の前川橋りょう(上り)の設計業務に携わることになりました。
この前川橋りょう、鯨波駅から鯨波の撮影地へ向かう途中、前川にかかる短い橋桁で、既に下り線の桁は架け変わっていたので今回は上りというわけ。
海水浴場の砂浜の向こうは海岸なので潮風に曝されるという状況で、新桁は亜鉛めっき+塗装という、二重の防錆装備となっています。
桁製作は、巴コーポレーション。桁架けは1997年初夏の頃で、操重車(ソ300形式)にて施工されました。

写真は架けた直後で、手すり等は取付け前。また橋台の構築途中で、桁高が小さくなった新桁は沓の下にメタルのブロックを介しています。このメタルのブロックは埋め込まれたまま、鉄筋コンクリート造りに再構築されています。
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北越急行開業前夜の1997年2~3月には特急「かがやき」485系の塗色変更が始まり、冬の厳しい天候の中に何度も訪れました。
そして北越急行が開業すると特急「かがやき」は廃止、特急「北越」は2往復体制に半減し、鯨波の信越本線は特急街道からワンランク落ちてしまいまったよう。もっとも急行「赤倉」の格上げで特急「みのり」が登場したので、この時より特急の本数は少し増えましたが。
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※余談:何度か鯨波に通って分かったこと。(1)特急停車駅である柏崎から鯨波まで1時間に1本の路線バス(越後交通柏崎営業所)があること。(2)ドライブインのような「シーサイドホテルTOP」が意外と安い宿泊施設であること。(3)鯨波駅~ホテル浪花屋のあたりでNTTDoCoMoのPHS電波があること。


その2:関山(新潟県中頚城郡妙高村)
関山も信越本線(しかも新潟県)。妙高高原の1駅北で、有人駅ながらも現在は一部快速列車も通過。鯨波ほど盛んには訪れないが、冬のスキーシーズンもといシュプールシーズンにはスノーブーツにワカンの重装備で出かける小野沢踏切。お出かけは昔も今も夜行の急行「能登」。
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初めて訪れたのは1993年12月。EF64 1000番台車の重連で牽引する14系座席客車12両の「シュプール妙高・志賀5号」を小野沢踏切で迎えました。
この小野沢踏切というのは関山駅から線路沿いに妙高高原に戻ったところで、上り列車だと関山を出て小野沢踏切から左カーブ、関山付近の平坦地から抜け出て上り勾配で関川沿いの谷の中腹へ至る線形です。ターゲットは下り列車ですが、基本的は逆光になるので、よく晴れない日が撮影に適しています。
雪がなければ駅から徒歩15分。雪があって道路の除雪がなければ40分以上かかる小野沢踏切。当然この地方の常識として、こんな小さな踏切は積雪期には敷板を外し遮断棹も外し、この踏切に至る道路も雪に埋もれて車も人も通りません。
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長野新幹線が開業する前までは、直江津発着の特急「あさま」と急行「赤倉」、そして1往復しかなかった特急「白山」がこの付近の優等列車。

しかし何よりも迎えるべきは前述の「シュプール号」。とりわけJR西日本からの「シュプール妙高・志賀」の多種多様な編成は絶好の被写体ですね。
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関山といえば、駅の北側、防雪林をバックにしたストレート区間も撮影地として有名ですね。EF64を追っかけている鈴木 綾一氏と出会ったのも関山の地。隣の妙高高原駅の駅前食堂で親子丼を食べる策も、黒姫駅から国道のお立ち台までのアプローチもお世話になりました。
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残念ながら何年か前に小野沢踏切のカーブのちょうどいいところに電信柱が建ちました。上と同じようなアングルを得るのはちょっと難しいですけれど、雪の上に乗らないと得られない冬場ならではのアングルは健在です。雪がレフ板になって逆光もなんのその?

(最近のようす)
2001年3月4日に小野沢カーブへ出かけた時のスナップから。(撮影機材:Canon PowerShot A50)
時刻は16時前後。30分前まで小雪が舞っていたのに、天候が急変して晴れてきた。ターゲットは特急「シュプール雷鳥・信越」


上左:除雪されていた道路から雪の壁に上がったところ。画面左下から奥の方へ伸びるのが、歩いて踏み固めた道。この日はワカン無し。
 ※この日は幸いに、関山駅から上左写真を撮った位置まで道路が除雪されていて、雪上歩行は200~300mで済んだ。
上右:線路に近づいたところで進路を右にふったところ。画面中央奥に件のカーブ。正面の電柱根本にカメラをセットすることに。
下左:雪上に三脚を据えて300mmレンズを構えたところ。3月になるとレール間の雪も天気が良ければとけてくる。
下右:ワタシです...。
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鯨波もそうですが、関山へのアプローチは上野発の夜行急行「能登」から始まることは言うまでもありません。長野新幹線がある今でこそ大した混雑ではありませんが、昔の急行「能登」は大変でした。ちなみに私が多く利用した頃は既に489系電車での運転でした。
この急行「能登」(下り)、金曜の夜は高崎線の終列車のため、しかも定期券+急行券の組合せでも利用できるため大混雑。赤羽でギュゥギュゥ詰めになりドアが閉まらない、発車が遅れる、なんていうことは日常茶飯事で、ドアのガラスが割れたこともありました。
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普通列車で先行した高崎にて、帰宅客を降ろした頃を見計らって乗り込んでも、混んでいる時は横川を越えて、軽井沢(真冬の深夜の軽井沢で降りる人も居るけれど、どこへ行くのでしょう?って心配なくらい。)を越えて、上田あたりで座れたこともありました。
どうしても座るならというので上野の地平ホームで入線の2時間以上も前から自由席の列に並んだことも。
座っても大変なのは車内検札。自由席が混んでいると乗越しだとか急行券が無いとかで、車掌氏が回ってくるのが1時頃。ホームで待っていた間に冷えた体を温めたお酒が回っている頃に起こされてもねぇ...。更には列車の遅延。4時半ころにアラームをセットして寝こみ、起きてみれば列車はまだ粉雪を吹き上げて長野県だか新潟県だか分からないところを疾走中。寝不足でもうひと寝入りしようにも遅れた列車の直江津到着予定時刻は分からないし、富山県まで車内放送は入らないし、とにかくそこから直江津までの朦朧とした時間が長く感じられたこと。
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長野まわりの頃は高田で降りる人の気配から、なんとなく目覚めるため、直江津を過ぎて気付いたら進行方向が逆になって北陸本線を走っていた、なんてことはありませんでしたが、長野新幹線が開業し急行「能登」が上越線経由となり長岡から進行方向が変わるようになったので、乗り慣れない頃は直江津に後向きで到着するのが奇妙に思えたものです。1度だけ直江津で寝過ごし、糸魚川まで行ってしまったことがあります。高崎から直江津まで客扱いがないですからね。
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冬の関山で撮影の後、帰りのスタイルは新幹線の開業で大きく変わりました。直江津始発の高崎行き普通列車で帰る剛の者も居ましたが、私のお気に入りは長野行き普通列車から軽井沢行き普通列車に乗り継ぎ、小諸にて追い越す特急「あさま」に乗り換え横川まで乗車。横川から始発の高崎行き、高崎から高崎線の快速で南下するパターン。特急乗車区間が長くないので、大きな出費にならないのです。軽井沢から横川へ、碓氷峠を越える普通列車が限られていたので、行程には悩んだものです。
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長野新幹線ができた今では、関山を暗くなってから出発しても十分帰れるようになりました。今は上田にも停車しますが、長野から大宮までノンストップの「あさま6号」だと長野から大宮までほぼ1時間。乗り慣れない頃は、長野からたった20分程度で何故に軽井沢を通過しているのか理解できず、あげく少しだけ寝こんだら、街の灯りが大宮にしては低い位置にあるので、気付けば大宮を寝過ごし東京まで行ってしまっていたという失敗もありました。在来線特急で軽井沢から1時間寝ても大宮には着きませんが、新幹線なら1時間で大宮の先まで行っちゃいますからね。(その後のダイヤ改正で夕刻上りの停車駅が少ない便は設定が無くなりました。)



5号車 / その他の思い入れ等


まぁ、その他のジャンルの「その他」というか。不定期に掲載。

その1:Double Decker Liner 215系
私が就職で上京した頃、首都圏では真新しい215系が登場しました。
オール2階建ての通勤ライナー用車215系で、車体の所々には「Double Decker Liner」ロゴのステッカーが貼られていました。
常磐線で1両だけの普通車2階建て クハ415-1901 の発展形であり、両端クモハの階下席は機器室で客室ではないのだけれども、いわゆる「オール2階建て」10両編成として登場したものです。
外観は、非常にスッキリと仕上げられた白色ベースの前頭部、赤紫色となったドア部、ステンレス車体ながら白っぽいクリーム色とされた肩部分など、近郊型電車としては、かなり意匠を凝らした外観デザインだと思います。
でも、一番驚かされたのは、通勤ライナー用の車両を造ってしまう、というコンセプトでした。(最初は、朝夕の通勤ライナーのみの運用しかないかと思いましたが、日中は快速アクティーに使用されていました。)

215系の所属は田町電車区で、当初は1編成10両のみの小所帯でしたが後に2次車3本30両を増備して4編成40両の体制となり、現在に至っています。
平日朝の東海道線(東海道貨物線)では、一番混む(といっても通勤ライナーは定員制ですが。)時間帯の列車に215系が充当され、4編成が雁行していくさまは、215系の本領発揮といったところです。
上述の通り、登場当初、215系の日中運用は東海道本線の快速アクティーに充てられました。4編成体制となってからは横浜や湯河原では上下の快速アクティー運用の215系が並ぶシーンも見られましたが、停車駅が少ないとはいえ日中の快速アクティー運用も辛い場面が出てきたのか、徐々に手を引き、その後には湘南新宿ラインで215系の日中運用を見ることが出来るようになりました。→ 更にその後は湘南新宿ラインの増発(1時間に4本)で215系はライナー専任となります。

↑横須賀線を行く215系....といっても上掲の湘南新宿ライン運用ではなく、1993年正月三が日に運転された無名の臨時快速。(1月2日 9771M)
品川(09:24)--9771M--(10:34)横須賀、横須賀(10:42)--9772M--(12:00)新宿
新宿(12:15)--9773M--(13:20)逗子、逗子(13:27)--9774M--(14:17)品川
の2往復運転され、うち1往復は新宿発着で「湘南新宿ライン」のはしりでしょうか?また、逗子以遠、横須賀まで1往復走ったのも特筆されます。この年のゴールデンウィークにも同様な運転が設定されました。
1編成しかなかった当時の215系ですが、このような臨時運用を時々こなしていたのも印象的でした。


しかし215系の運用で最も特異的なものはといえば、中央本線の行楽列車「ホリデー快速ビューやまなし」運用ではないでしょうか。

現在、中央東線で唯一のステンレスボディー車(除く中央緩行線の209-500系・E231系)である215系(その後、201系は全てE233系に置き換えられました)。冬場は運転されませんが、春~夏~秋の土休日には毎年コンスタントに運転日が設定され、輸送力もかなり大きいことから沿線の行楽にも便利に利用されているようです。
この「ホリデー快速ビューやまなし」、一時は東京発着でしばらく設定されていましたが、その後は湘南新宿ラインでの運用都合等もあって新宿発着で、上りは長野支社管内である茅野始発で運転されている時期もありました。また過去には夏臨で上諏訪発着の快速「しらかばこ」が運転されたこともあります。(他に計画的に215系から115系に車種変更されて運転された実績も。)
215系が初めて(営業運転で)中央本線を走ったのは、山梨県の観光キャンペーン「しんせん・やまなし」開催中の1993年5月のこと。
当時は愛称名無しの無名快速で、しかも急遽運転が決まったようで時刻表にも掲載されませんでした。
この無名快速215系の運転を知ったのは、新宿駅で埼京線のホームにあるLEDの発車案内表示。その2段目にスクロールで流れる運転告知の文章。・・・・初めは急行「しんせん・やまなし」の案内かと思ったのですが、何回見ても「2階建て車両」と書いてある....??..とうとう半信半疑で運転初日=5月9日の朝に新宿駅へ出向き自分の目で確かめることに。ホームで待つと確かにやってきたのは215系。
最後尾のクモハ215の階上席に乗り込み、終点の小淵沢までダブルデッカー車からの眺めを堪能したのは言うまでもありません。
快速列車なので途中駅では特急に追い越される場面(通過時の風圧で比較的重心の高い車体が揺れるのも215系の醍醐味?)もありましたが、乗っているお客さんたちは皆、楽しそうだったのが印象に残っています。

↑高尾駅にて。1993年5月9日。


その2:銚子電鉄
このサイト全体とはジャンルが異なりますが、2006年の冬に特設ページを立ち上げました。
こちらのページです。


その3:2010年12月 津軽鉄道
五能線を訪れた際に立ち寄った津軽鉄道の様子。
こちらのページです。






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